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8月28日 認知症であっても・・・
認知症の人からのお願いです。「私を分かってください!!」7か条
1.私もあなたと同様に、何かを思い悩んでいるのです。その思いや悩みに耳を傾 けてください。 その内容が分からなくても、耳を傾けていただく、理解しようとしていただく、それが、私にとって必要なのです。
2.私は、今、自分がどんな状況に置かれているかがよく分からないのです。その不安な気持ちを分かってください。
3.私が何か変わったことをしていても、それには私なりの理由があるのです。例えば、下着を汚したら、誰だって恥ずかしいのは一緒です。でもどうしたらよいのか分かりません。だから、タンスに隠そうとしたりするのです。私にとっては、そうするしか方法がなかったことを分かってください。「問題老人」というレッテルを貼らないでほしいのです。
4.私も、感情や情緒はふつうに持っています。だから、きつく言われたり、無視されたり、ぞんざいに扱われるとつらく、悲しいのです。ときには、ふつうの人と同じように、うずもれていた感情が爆発してしまうこともありますが、それも分かってほしいのです。
5.私は、落ち着いた団欒(だんらん)の場所がほしいのです。あなたが自分のお気に入りの場所で友達とくつろぐ時間がほしいのと同じように。 せめて、週に何回か、そんな気楽な、そっとさせてもらえる場がほしいのです。
6.私を早めに専門の医院に連れて行って診てもらえるようにしてください。専門の先生が、どこまで痴呆がすすんだか、よくなる可能性があるのか、などを診断してくれます。
7.また、家族や周りの人々だけの素人の考えで対応しないで、介護の専門家に相談をしてください。どのように対応したらいいのかを一緒に考えてくれますし、介護の方法や、必要な福祉サービスなどについての情報を教えてくれます。
私は、老いるほどに私らしくありたい。老いることを誇りとし、幸せであれるよう努めたい。
8月21日 特養に入居しているあるお年寄りの言葉より
①「とってもいい所で、職員も優しい。しかし、1日でいいからせめて朝寝をしたい。」
一年に一日も朝寝も出来ない。起きる時間、寝る時間、ご飯を食べる時間が決まっている。これは、刑務所や軍隊と同じではないか。 私は「目がさめたときが朝、眠くなったときが夜、空腹になったときが食事時」、これが出来るかどうか・・・?
②「明日や将来のために今日の暮らしを規制しない。」
嚥下が困難な人は餅を食べない方がいいのだろうか。いや食べたいと言えば掃除機や吸引機を後ろにおいてでも食べたい。 私は、生活を縮めていくくらいなら、医療なんてないほうがいい。
③「お年寄りと子供の違い」
子供というのは、今日できないことが明日できるようになるかもしれない。 私は、今日出来ることが明日出来なくなるかもしれない。だから我慢することはない。
④「今に慣れてはいけない、忘れてはいけない。」
「好きな食べ物は何ですか」と聞かれても、好きな食べ物、食べたい食べ物が思い浮かばない。「マグロの刺身・握り寿司・うなぎの蒲焼、この中で食べてみたいものがありますか」と聞かれたら、答えられた。 つまり、私は、そこに順応するために選択肢のあることを忘れていたのだ。
⑤「危険を恐れてはいけない。」
人が生きることは、危険が伴う。事故はおきるものである。生きているから、生きるための危険を皆持っている。 私も、リスクを冒す権利がある。
このメッセージを真摯に受け止めなければ、特養はいつまでも仮の住処に止まるでしょう。
介護施設の入居者に、「何があれば自分らしくあれるか、生きるうえで大切なことは・・・」との問いに、最も多かった回答は「ハッとするのではなく、ホッとする居場所が欲しい」とのことだったそうです。
マザーテレサの言葉に、「生きるうえで最も辛いことは、無視されること、誰からも必要とされないことです。」との教えがあります。
特養を”我が家””我が住まい”と定めたからには、”自由””誇り””安らぎ”をもって、”居がいのある暮らし”であれるよう、そのかかわりにこだわりを持ち続けたいものです。
8月7日 生中2杯の幸せ!! たまに100円缶ビールで調度の私が、昨夜は生中2杯を飲み干しました。久々の記録です。飲むほどに酔えずにしんどくなるタイプですから、晩酌の習慣などありません(どうでもいいですよ~)。
ところが、今回はしんどさ0%、口の回転100%。寿司屋の2階で、異業種・年齢幅ありの男4人の酒盛りですが、色気なしでも絶好調!!
話題は、よくある共通する知人や地元議員の人物評価から、「靖国参拝」「常任理事国入り」「郵政民営化」「太平洋戦争~南京虐殺~核の保有~」「市町村合併」「桜街道作り」等々、締めは「生きる意味~生きた証」へと展開。 お店の都合も省みず、我がまま勝手に、このメンバーならではの大満足の夜宴となりました。
因みに、このメンバーだからと、全てが見解の一致と言うわけではありません。「靖国・・・」「南京・・・」等々では、歴史認識の違いか、思いはいろいろでした。
楽しい宴会、これもお互いが主張するばかりでなく、まず受容・傾聴の精神があってのこと。何よりも、それぞれの思いを批難・否定しないことから生まれる信頼感なのではと思います。
これも、福祉の基本ですよね・・・(「福祉」にこじつけました!!) 7月24日 何のためにケア(介護)があるのか何のためにケア(介護)があるのか
「障がいをもつ」或いは「歳を重ねる」ことにより、自分の意のままに自分の力のみでは生活が成り立たなくなり、「これからどう生きていけるのか」という不安であろうと思えるこの時点にある人との関わりが介護であり、この時に人間らしくあれるかどうかの保証のあり方が、介護の専門性として問われる。 まず私たちは今『誰と向かい合っているのか』、この立場を理解しておかなければならない。 と同時に、介護の専門性とは、『私が私であれる(私らしくあれる)ための介護』、また『自立に向かえる介護』『生きていて良かったと思える介護』をめざし保証することにあり、まさに介護は一人一人の生き方(生活)を支援することにある。
では、私が介護を受けるならば何を求めたいか、「人が生きる」そのために保障されたいことは何かを述べてみる。
①生命(私は物ではない。) 私は物ではない、私は人間である。また、介護を受けるために生きている者でもない。このことを意識して関わって欲しい。私を一人の人間として見て欲しい。私の存在感を保障して欲しい。 ②心(私にも感情がある。) 私が寂しいといえば、「あなただけじゃない。」、痛いと言えば「大丈夫痛くない」と言われる。これでは私は辛い。障がいの捉え方は人様々であり、私にも生きている感情がある。援助者の価値観で、私を批判・非難しないで、受容・傾聴して欲しい。 ③記憶(私にも過去・歴史がある。) 私が嫌いなことを好きになれと言われても困る。介護を受けることから、自分の生き方を変えなければならないとしたら、辛い。生きることなど前向きに考えられない。私にも生きてきた歴史がある、大切にしてきたものがある。私には私なりの価値観がある。生きてきた私の歴史・大切にしてきた思い・考え方、私そのものを受け止めて(受容・傾聴)欲しい。 ④プライド(私にも誇りがある。) 私は食事をこぼしてしまう。すると「まあ、こんなにこぼして、もっと上手に食べられないの。」「今日は上手に食べましたね。」なんて言われると、「馬鹿にするな~」と言いたくなる。 「汚れたら大変、エプロンしましょうね。」なんて言われようものなら、「恥ずかしい格好させるな~」と言いたくなる。 私は、介護を受けるために生まれてきたわけじゃない、介護を受けるために生きているわけじゃない、私の辛さを分かって欲しい、恥ずかしい思いをさせないで、プライドを捨てさせないで欲しい。 ⑤願い(私にも希望・欲望があり、また、心があり、生きる意味をもちたい。) 私の生き方は私が決める。援助者の思惑・都合で事を運ばないで欲しい。 生きがいは、私のやる気(主体性)ある生活から生まれるもの。生きがいは準備して与えられるものではない。まず私の自己決定による自己実現の積み重ねがあってこそ、明日を生きてみたいと思えるものとなる。 換言すれば、援助者の思惑で、援助者の自己完結・自己満足に終わらないで欲しい。私が生きたいと思える援助の視点を大切にして、限りなく私の希望に添いたい、心に添いたいとする援助者の姿勢が窺えたとき、私は自己実現・明日を生きたいとする希望をもてると思う。
以上、援助の基本は、「心に添うこと、心を起こすことから始まる」ことを分かって欲しい。 7月10日 特養施設での制服を考える 特養施設を訪ねた際、施設名や個人名のついた制服・トレーナー姿の職員を目にします。その服装は施設内に止まらず、外出先の病院・散策時・買い物先・行楽地等々でも同様です。国内特養施設での制服の存在は5分5分とか、賛否両論いろいろです。私は制服の職員を伴う入居者様子を見るたび、制服を通して、あなたは介護を受ける人、私は介護する人との立場の違い意図しているように感じます。制服を使用するある施設でその理由・目的を尋ねれば、「汚れを気にしないように洗い替えのきく制服の貸与は福利厚生の一環であり、職員がネームをつけるのは、施設職員としての立場・責任を示すもの」との回答でした。
しかし、制服を導入している施設においても、その多くは生活施設であると言われます。であるならば、その生活の場に、なぜ制服が存在するのでしょうか。
社会福祉法の基本的理念にノーマライゼーション(ふつう)が掲げられています。「施設福祉」も「在宅福祉」も「地域福祉」と定義され、住まいするところによって人(生き方)は変わるものでないとする今もなお、なぜ施設に制服が存在するのでしょうか。
「私は〇〇施設で、〇〇職員にお世話になっています」と住まいを明らかにしなければならない暮らし方は、介護を受けることを辛いものとしてしまいます。制服のある施設、それは職員・施設主体(都合)とするのは過言でしょうか。 7月5日 チャングム福祉 プログ初挑戦!! プログに初挑戦します。
私は韓国ドラマ「チャングム」の大ファンです。木曜の夜10時を中心に1週間が回っています。どんなに忙しくても、木曜の夜10時はテレビに釘付けです。ほんとハラハラドキドキ、あっという間の1時間。ドラマも始まるなり、残り時間を横目に見ながら、もっと進め、もっと進め、必死で食い入っています。
私は特養で施設長をしています。これから福祉のこと少しづつ投稿します。応援期待しています。
特養の玄関が施錠や暗証番号で管理されている所をよく見かけます。これってノーマライゼーションに反すると思いませんか。日中、施設が自由に出入りできないなんて、やっぱり施設は特別な場所なのでしょうか。また事務所前に置かれた面会簿を目にしませんか? では、皆さんのお宅に、面会簿が置かれていますか。 施錠、そして面会簿、まるで収容所を思わせます。
介護を受けて、より自分らしく暮らしたいと引っ越した先は、収容所? それは介護が特別なものとなり、介護を受けることを辛いこととしてしまいます。介護とは、より自由であれるよう保障し得るものとしての目標を掲げたいものです。 |
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